クオリティ高いタイの音楽

タイの音楽のこと。
私はタイ語が分からないのに、
タイの音楽がとても好きです。


タイ語の意味が理解できないのに
タイの歌が好きになるって、どうゆうことか。
英語の歌詞が分からなくっても
洋楽好きな人いるし、別に不思議ではない?


でも英語の場合にはビジュアル先行型とか、
メロディーが良いからとか、
英語分からないって言っても
I love youとかくらいは分かるわけで。
(ちなみにタイ語では"Pom(Chan) Ruk Tur" 。
これは何度も出てくるから覚えます、笑。)


タイの歌は最初は単語も知らないので、
歌詞が素敵だからと言う理由で好きになることは
まずなくて、残すはメロディか、
ビジュアルから好きになるということか。


タイの歌手の方はビジュアルも
かなりクオリティ高いですが、
私が好きなのは、タイの曲の独特なメロディーとか、
懐かしさ???
のようなものです。
あと、ノリノリの曲からは、
日本人にはないタイ人の「地の明るさ」みたいな
ものを感じて元気になります。



私は個人的にタイの音楽は
クオリティ高いと思っています。
不思議なのは一向に日本でタイの曲が
流行ったりしないことです。
もっと知名度あがってもいいのになって
思ったりします。
言葉の壁かな?


それは置いといて。
最近のタイの音楽は全く分からないので、
昔のタイの音楽の話です。


多分それなりに古い音楽は
どこの国でも需要があるのでしょうか。
タイの音楽事業会社のGrammyもRSも
Youtubeで大量に懐かしい曲を流している。
そして、視聴回数もすごい。


昔はVCDとか買わないと映像では観れなかったものが
簡単にいくらでも観れる、何て贅沢なんだろう。
ということで、時系列無視で気になった曲について
つらつら書きたいと思います。


最近、家事がかったるいなあーって時に
聴いているのがこちら。
気づけば17年も前の曲なのですね(遠い目)



2004年の曲、アイ・ナム(ไอ..น้ำ)
『รักคนมีเจ้าของ』(恋人がいる人への想い)


ノリノリで、
苦痛なお皿洗いとかも楽々乗り切れます。
最初のしゃべりも歌詞も何言っているのか分かってなかったのですが、
とにかく、メロディが大好きでした。
この動画も面白くって好きでした(VCDで持っていた)。



この記事を書くまで気にしたことがなかったのですが、
調べたら、タイの音楽について詳細に書いていらっしゃる方が沢山いらして、
この曲は2004年のメガヒット曲だったとか。
この曲の入ったアルバムは、100万枚売れたそうです。
すごいですね。


耳に残るこの軽快なメロディーが良かったのでしょうか。
歌っている彼も可愛いっていうか、
なかなかさわやかな好青年ですよね。


www.youtube.com


 

 歌のざっくりした内容は、
彼氏がいる人を好きになって、
いつも君のことを思ってせつないなあ的なことを
言っているみたい。
そうゆうこと歌っているとは
夢にも思っていなかったので、
15年を経てようやく意味を知りました。


歌詞の内容とタイトルも
「テムテムな歌」さんの歌詞を参照させていただきました。

tem2song.blog121.fc2.com

 


「テムテムな歌」さんは、
膨大な量のタイの曲を訳していらっしゃって、
すごすぎるブログです。


私は今こちらを参考にしながら、
昔懐かしい曲の意味を把握して、
ついでにちょっとタイ語の勉強もしています。
超楽しいです。



テムテムな歌さんは、
リンクを貼るのも自由ですと書いてくださっていて、
神だなと思います。


本当にこうやってタイの曲を愛する方と
インターネットを経由してつながれることに
ひとり感動しております。
(私が一方的に見ているだけですが)


この歌詞の意味からすると、
この動画の彼女の彼氏は、
おかっぱ頭の彼ってことになりますね。


やるな。

微笑みはどこへ?

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前から思っていたこと。
日本にいて、
タイのレストランに行くと、
店員さんが不愛想だと思うことが多い。



微笑みの国タイから来られている方が
どうしてこうも不愛想なのだろうと不思議になる。


タイ料理大好きな私。
それこそ沢山のタイ料理店に行って、
結構な割合で不愛想と感じるので、
肌感覚的には間違っていないと思う。


早速だが、
私なりの仮説はこう。


タイ人がタイで微笑んでいるのは、
タイにいるからなのだ。
タイと言う国にいるからこそ素敵な笑みがこぼれる。
微笑む余裕がある。


しかし、
タイ人が日本に来てみると、多分勝手が違うのではないだろうか?仕事は忙しい。働かないでおしゃべりしていると怒られる。とか。

 

タイで2人分の仕事を日本では1人でやる。
(これも勝手な仮説です。間違っていたら
ごめんなさい)
そんな日常だから余裕がない。
笑顔なんて出ない。
不愛想になる。
こうゆうことではないか、と思う。誰でも予測できそうな仮説だけど。


それくらいにギャップがすごいのではないか?
中には、日本のタイ料理屋さんの店員さんにも
朗らかで優しい感じの人もいるかもしれない。


でも忙しい人気店のタイ料理屋さんに行ってみたら、高確率で不愛想だと感じる。


当たり前かもしれないけど、

タイ人そしてタイという国がセットで、
『微笑みの国、タイ』が成り立つのでしょう。


日本は忙しすぎるし、働かせすぎだし、
ヤッパリある意味人を病ませる国なのかもしれない。


そんなことを、
タイレストランの微笑みを失った
店員さんを見ていて思う。

カオサンと私

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1997年当時のカオサンロード


タイに滞在していた当時、私が泊まっていたホテル。
1,000BHT(当時の日本円で約3,000円)
くらいはする安めのホテル。
でもタイでは結構高い方です。


しばらくは友達の家にお世話になったり、
ボランティアをしていたNGOの職員の方の家に泊めていただいて
いましたが、そう長くいるわけにもいかない、
ということになってきて、
そこのホテルを選んだものの、結構な出費で悩んでいました。


しかも、ある日部屋に戻ると、
そのホテル(と呼べるのか謎)のバスマットに
小さいご〇〇りがたくさんついていて、
(書いていて、鳥肌)、
きゃーーーーーーー!!!となったのですよ。
急いでフロントに電話して、助けを求めたら、
しばらくしてホテルの人が来て、
殺虫剤でシューーーーーー!!とやって、
ニコリ。これで大丈夫みたいな表情。
「笑ってるばあいかい!」
とこの時ばかりは微笑み返せませんでした。


そんな時に一緒にボランティア活動をしている友達が、
「カオサンいいよーーー。」と勧めてきました。
一泊300-400BHTで泊まれて(部屋の種類にもよる。
もっと安い部屋もあったような記憶)。
清潔だしすごく快適と言うのです。


私はまがりなりにも今ホテルに泊まっていて
あんな思いをしていて、
カオサンの安宿(ゲストハウス)なんかに泊まったら
一体どうなることかと思いましたが、
〇〇〇〇なんて、出たことないよと言うのですよ。
そこまで言うなら一応部屋を見にいってみようと思って、
行ってみました。


そのゲストハウスは、
『Bella Bella House』と言いました。
行ってみて、びっくり。
とってもシンプルで必要最低限の部屋ですが、
とてもこぎれいで、こじんまりしていて、
宿の店員さんがとてもフレンドリーで、
すぐに気に入りました。



友達が既に宿の人と友達みたいになっていたので、
カタコトのタイ語でしゃべったりして、
すっかり打ち解けました。


そのゲストハウスは大通りではなくて、
カオサンロードにあるお寺の裏にあって、
西欧人が多いカオサンにしては、日本人が多めな
印象でした。
そこで出会った変な日本人のこともいい思い出です。


そして、何とそのBella Bella Houseは20年の時を経て、
今でも営業しているではありませんか!!!
(このブログを書くのに
ググってみたら、ちゃんと出てきた)。
写真を見る限り、全然変わっていない様子です。


私はBella Bella Houseの宿のゲイのお兄ちゃん、
西欧人大好きな女の子と友達になって、
(その子ともFacebookでつながり、その後
白人の彼氏と無事に結婚)
タイに行くたびにそこに立ち寄る程仲良くなりました。


久しぶりにBella Bellaを尋ねた時に、
急いで出て行ったので、何事かと思ったら、
近くの屋台で私の大好きなソムタムを買って
食べさせてくれたり、
本当に優しい人達です。


もう20年も前のこと。
でも、ついこの間のことのように思い出されます。
カオサンのゲストハウス、侮るなかれ。
古いホテルよりよっぽどきれいです(笑)。
(※Bella Bella Houseは当時新築だったので、特にきれいだった
と言うこともあると思います)

タイのシンクロニシティ

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変わりゆくものと変わらないもの。


タイのことを好きだったのは、
遠い昔のことと自分の中で封印している感がありました。
(特に理由はないけど)


今はコロナでタイに行けるチャンスもないし、
タイが好きって、別に珍しくも何ともないから
あえて自分から言う話でもない。
だから自分がタイが好きだっていう事実も
忘れかけてました(笑)。


それが、例の入院だ、手術だを乗り越えて、
タイ熱が再燃してからというもの、
至るところで「私、タイが好きなんですよね~」と言う
ようになっていました。
このブログは今の時点で誰も読んでないと思うので、
誰かに言った内には入ってませんが、
何か好きということを言わないと損みたいな
気持ちになってきたんですね。
何でもいいけど、話題にしたい、みたいな。


すると、
「旦那さんの仕事の関係で今年タイに住むことになった人がいて」
と人を紹介されたり、
ご縁があってある方とお話していると、話題の中に、
「実は将来的にはタイとかに住みたいんですよねー。」
「多分前世タイ人じゃないかと思うのよね」
とどこからともなくタイが出てきたり。
「呼ばれた」と思いましたよ。
(まだたった2人ですけど)


好きなことって、
公言した方がいいんだなって思いました。
偶然を待つのではなく、偶然を引き起こしてやるのです。
こっちから。
引き寄せるって言葉は陳腐化しているので、
もっと、良い表現がないかなと思っているのですが。


好きだ好きだって猛烈アタックしている内に、
もうコロナ収束とかを待たずに、
タイに行ける日が来たりするんじゃないかなとか、
思っています。
コロナ収束するのを待ってから何かをしていたら、
自分の体もどんどん年を取るし、
今できることが3年後、5年後できるとも限らないし。
40も過ぎるとそうゆうのを切実に感じたりします。


しつこいくらいに前川さんの話ばかり出てきますが、
(それもそのはず、最近前川さんの本しか読んでない)
前川さんがタイと出逢ったのが、20代。
バンコクの匂い』を書いたのが40代。
これ、私も同じです。時代は20年ズレるけど。


自分の年齢の変化で見える風景が変わるってあるでしょう。
同じ物を見ても年によって見え方は変わらざるをえない。
前川さんの上述の本にノスタルジーを感じるのはそのせいだって。
今のタイを見たらノスタルジーどころではないでしょう。


でももしタイに久しぶりに行くことが叶ったとしたら、
その変貌ぶりにショックを受ける自分がいるのではないか、
怖い自分もいます。
こんなにインターネットとかSNSが流行っている時代に、
タイに実際行かなくっても見れる情報を私は積極的には
見ていません。
90年代の本とかを読んで懐かしんでいるのはそのせいです。


シンクロニシティを感じる経験をして、
これから10年ぶりのタイに行ける日を心待ちにしていますが、
心のどこかで、私はあの頃のタイに帰りたいのかな、
あの頃の自分に帰りたいと思っているのかなと思ったりします。


でもそんなことを言っていると、
今起きてる変化を目の当たりに出来なくなってしまうので、
思い出半分、現実半分でタイを楽しむ心の準備をしておこうと
思います。



今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

 

コンイープン(日本人)です。

前川さん読書は続く。


バンコクの匂い』(めこん、1991年)の中で、
嫌でも時代の流れを感じた記述の中に、
近頃になってタイでは、
「街で韓国人を見かけるようになった」、
「韓国製の製品を見かけるようになった」という部分があります。


日本ブランドより韓国ブランドが優勢となって久しいタイ。
何とも言えない気持ちになりました。
数十年という時の流れには逆らえないなあ、
寂しいなあと思っているのは私だけではないと思います。


私がタイに行っていた頃には、
日本の影響力(というか人気)をひしひしと
感じました。
嫌でも、日本の広告や日本の物が目に付きます。
美容院には日本のアイドルのポスターが貼ってあるとか。

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90年代のバンコクは日本企業の看板であふれていました。




タイのNGOでボランティアとして勉強をさせてもらっていた時、
確か、ウボンラチャタニ(タイの東北地方の一県)だったと思うけれど、
タイ人の中学生くらいの女の子に話しかけられたことがありました。
全然知らない通りすがりの女の子です。


その子がタイ語で、
「コンガウリーチャイマイカ?(韓国人じゃないですか?)」
と聞いてきたので、
「マイチャイ。コンイープンカ(違います。日本人です)」と答えたんですよ。


そうしたら、「きゃー」といって、
一緒に写真をとって欲しいと言うではありませんか。
いや、いや、凡人ですけど、一体何事?
っていうか、勘違いするやん、そんなことされたら。って感じでした。


今逆の現象が起きているのか知りませんが、
思い出すたびに笑いが込み上げます。


それから、
私たちが日本人だと分かったのか、
どこからともなく、
「ホンダ」とか「アジノモト」とか
トヨタ」とか叫ばれます。
どう反応していいものか困ってたけど、
だんだん慣れてきて、スルーしてました。
今は、「ヒュンダイ」、「サムソン」って
叫ばれているのかな。
これも検証しなきゃ。


バンコクの匂い』(めこん、1991年)
の返却期限が来たので、図書館に返却。
これからさらに歴史を遡って
バンコクの好奇心』(同、1990年)を読みます。

タイのバスの思い出

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エアコンなしバスは暑いから窓が開いている。排気ガスが窓から容赦なく入ってくる。
ハンカチを口に当てながら乗っている乗客の横顔を思い出す。


若い時の旅を振り返る。
バンコクに友達はいるけど、
何度も来るので、
そのうち友達がつきあってくれなくなった頃、
ひとりでいろんなところに行きました。


今から考えるとちょっと危なかったんじゃない?
と思わなくもありませんが、
少し無謀に思えることをしても、
タイで危ない目に遭ったことはありません。
(小銭入れを落としたか、すられたことが
あったくらい)


でも、怖い思いをしたことはありました。
ベンツマークのついた緑のバスに乗ったときです。
このバスをタイ人は「ミニバス」と呼んでいました。


タイ人の友達には、
「あのバスには乗らない方がいいよ」と忠告されていました。
運転手さんの中には「薬」をやっている人もいると
聞いてびっくり。
半ば冗談だろうと、好奇心だけで乗ってみたら、
本当にやばかったです。


運転が荒らすぎて、急ブレーキで
車内はガタガタ揺れるし、
(そもそもバスの床が平行じゃない)
ドアも開いている(記憶が間違ってなければ、
最初からドアがついてない?)から
立っていると外に放りだされそうになります。
無事には帰れないかもしれないと本気で思いました。


目的地に着く前でしたが、
バスが停車したのを見計らって、
命がけで下車したのを覚えています。
それに懲りてあのバスだけは、
あれから一度も乗っていません。


さすがにもう走っていないだろうと思い、
最新版の『地球の歩き方』を見てみると、
ミニバスというバスは健在ですが、
色が「赤」に変わっていました。
2010年に全ての車両が刷新されたということです。


そう。
こうやって、バンコクのワイルドさは
少しづつ薄れていくのです。
そして、多分安全のためにもそれでいいのだと
思います。


実際に「タイ 緑のバス」でググって
出てきた各種記事を読んでみると、
ミニバス絡みでの事故が多数起きていたということです。
やっぱり。かなり納得。


そんなことを思い出していると、
様々な疑問が頭をよぎります・・・・
「ところであのバスの差は何だったのだろう。」
「ミニバスのベンツマークは何だったんだろう。」
当時疑問に思ってもそのまま調べようともしなかったことを、
今さら知りたくなっています。


(紀行家の)前川健一さんは疑問に思ったことをそのままにせず、
メモして、観察して、答えを探した。そしてそれが本になった。
私はただ通りすぎる旅人だったんだと思います。



(ネットやニュース記事の情報をひたすら検索する) 
結果発表。
あのバスのメルセデスマークは偽物ではなく、
本当にメルセデス製の車両でした(失礼!)。
そして、メルセデスの車両ではないバージョンのミニバスも
あったことが分かりました。
日本だとメルセデスというと高級車というイメージですが、
大昔の車両と危険な運転を掛け合わせると、
メルセデスである意味はほとんどないなと、
記憶が知っています(笑)。


再び前川健一さんの『バンコクの匂い』について。 
前川さんが本の中で「ルートも目的地もわからないバスに乗る
という遊び」をやっているエピソードが書かれています。
「これ、私も何度かやったことあるーーー」と
この一行を読んだだけでワクワクが再燃。


今どこにいるかわからないけど、
そのまま、その状態でバスに乗っているのが楽しかった。
バンコクの人の生活が垣間見えるのが楽しかった。


「エアコンバス」はその名のとおりエアコンが効いていて
涼しい。まあ快適です。
エアコンの付いていないただのバスは運賃が半額です。
「バンコッキアンの生活を垣間見たい」と思って
乗ったものの、その暑さに辟易としました。


それから度々乗る機会がありましたが、
本でも読んだ通り、本当に「客層が変わる」のです。
4バーツと8バーツの差。
実際に乗ってみて小さなショックを受けました。


この「バスの旅」は楽しかったですが、
一度渋滞にはまって、
乗りたいバスに乗れない(来るバス全て満員)
という目に遭いました。バンコクの渋滞侮るなかれ。
結局友達に車で迎えに来てもらうという
迷惑をかけたことがありました(^_^;)。


前川さんの頃(80年代後半)から相当にひどかったバンコクの渋滞。
今はBTSも地下鉄もできたから大分ましになったでしょうか・・・。
10年程前に乗ったBTSはエアコンが効きすぎて寒いくらいでした。
時間はかなり経ってしまいましたが、
今度バンコクに行けるようになったら、
バンコクのその後を見にいくという楽しみが出来ました。

その日まで私の夢想は続く・・・

 

タイ語学習 再び

若い頃の情熱って、
一体どこから湧き上がってくるのか分からないけど、
しばらくはタイ熱は冷めませんでした。
情熱を持てることの幸せは、
そうした感覚を失って気づくのかもしれません。
 

私は大学の卒業論文も、大学院のディザテーションも、
タイについて書きました。
それほど、自分の心を動かすもの、
そして取り組みたい何かがあったのは確かです。

 

その後、社会人として生きていく中で、
需要と供給問題を考えたり、
他のことに割かないといけない時間との
折り合いを考え、
タイ語への興味を一旦保留にしました(かなり長い期間)。

 

頭で出した答えです。
タイ語はタイ(及びラオス)でしか通じない。
どうせ大変な思いをして学ぶなら
中国語なんじゃないか。
といって、ラジオで中国語を学び始めるも挫折。

 

英語もままならないのだから、
とりあえず、英語を完璧にしてから、
(どんなに学んでも完璧になることはないのに)
タイ語をやればいい。

 

まあ、いろいろな言い訳をして、
自分を説得して、やらない理由が明確になったのです。

 

結局、実用タイ語検定試験5級という
中途半端な資格をとって終わらせました。
(ちなみに5級はカタカナでタイ語の日常会話を
かろうじて理解できるレベルです)

 

その後SNSYoutubeなどで、タイ語を楽しそうに
流暢に話す日本人を見るたび、

「私はどうしてあんなに好きだったことを
平気で止められたんだろうか。」

「あの時もう少し続けていたら、
今はこんな風に話せたかもしれないのに。」

  

複雑な気持ちになり、
自分のした選択を後悔したくなかったのか、
自分からタイの情報に触れる機会を
減らすようになりました。

 

しかし、先日手術で入院することになり
それをきっかけに、またタイへの気持ちが再燃し、
あの頃を思い出すようになりました。

 

タイ語はタイを理解する上で、
何にもまして重要なのではないでしょうか。


微笑みの国なので、タイ人の皆さんは、
カタコトのタイ語でも優しく迎え入れてくれます。
一言タイ語で話しただけでも、
すごくうれしそうに驚いたような
リアクションをしてくれる屋台のおじさん。
 

別の屋台では、
果物の値段をぼられそうになった時、
タイ語で「あれ、違うんじゃない」
みたいなことを言ったら、
正規料金に戻ったことがありました(笑)。
たとえ少しでも、タイ語を話せるのって大事。

 

でも、今改めて思うこと。
タイ語は読めないと、
タイへの理解は著しく限られる。
当然と言えば当然のことでしょう。
それは日本においても同じこと。

 

記号のような暗号のような、
タイ文字に苦手意識をもって
カタカナで理解するだけで精一杯でしたが、
新たな情熱とともに今度は
タイ文字を理解するところまで
深堀をしたい、今はそう思っています。

 

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絶版になっていた実用タイ語会話1のテープを中古で入手。カセットデッキも買いました。

 

『実用タイ語会話Ⅰ』のテキストが家にありました。
新しい教材を買ってもいいのかもしれないけど、
今持っているものでとりあえずやってみようと思い、
テープを中古で入手しました。


カセットデッキがないので、それも一緒にゲット。

例文を読み上げるタイ人の優しい声で眠くなるのが悩み。