タイ語学習 再び

若い頃の情熱って、
一体どこから湧き上がってくるのか分からないけど、
しばらくはタイ熱は冷めませんでした。
情熱を持てることの幸せは、
そうした感覚を失って気づくのかもしれません。
 

私は大学の卒業論文も、大学院のディザテーションも、
タイについて書きました。
それほど、自分の心を動かすもの、
そして取り組みたい何かがあったのは確かです。

 

その後、社会人として生きていく中で、
需要と供給問題を考えたり、
他のことに割かないといけない時間との
折り合いを考え、
タイ語への興味を一旦保留にしました(かなり長い期間)。

 

頭で出した答えです。
タイ語はタイ(及びラオス)でしか通じない。
どうせ大変な思いをして学ぶなら
中国語なんじゃないか。
といって、ラジオで中国語を学び始めるも挫折。

 

英語もままならないのだから、
とりあえず、英語を完璧にしてから、
(どんなに学んでも完璧になることはないのに)
タイ語をやればいい。

 

まあ、いろいろな言い訳をして、
自分を説得して、やらない理由が明確になったのです。

 

結局、実用タイ語検定試験5級という
中途半端な資格をとって終わらせました。
(ちなみに5級はカタカナでタイ語の日常会話を
かろうじて理解できるレベルです)

 

その後SNSYoutubeなどで、タイ語を楽しそうに
流暢に話す日本人を見るたび、

「私はどうしてあんなに好きだったことを
平気で止められたんだろうか。」

「あの時もう少し続けていたら、
今はこんな風に話せたかもしれないのに。」

  

複雑な気持ちになり、
自分のした選択を後悔したくなかったのか、
自分からタイの情報に触れる機会を
減らすようになりました。

 

しかし、先日手術で入院することになり
それをきっかけに、またタイへの気持ちが再燃し、
あの頃を思い出すようになりました。

 

タイ語はタイを理解する上で、
何にもまして重要なのではないでしょうか。


微笑みの国なので、タイ人の皆さんは、
カタコトのタイ語でも優しく迎え入れてくれます。
一言タイ語で話しただけでも、
すごくうれしそうに驚いたような
リアクションをしてくれる屋台のおじさん。
 

別の屋台では、
果物の値段をぼられそうになった時、
タイ語で「あれ、違うんじゃない」
みたいなことを言ったら、
正規料金に戻ったことがありました(笑)。
たとえ少しでも、タイ語を話せるのって大事。

 

でも、今改めて思うこと。
タイ語は読めないと、
タイへの理解は著しく限られる。
当然と言えば当然のことでしょう。
それは日本においても同じこと。

 

記号のような暗号のような、
タイ文字に苦手意識をもって
カタカナで理解するだけで精一杯でしたが、
新たな情熱とともに今度は
タイ文字を理解するところまで
深堀をしたい、今はそう思っています。

 

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絶版になっていた実用タイ語会話1のテープを中古で入手。カセットデッキも買いました。

 

『実用タイ語会話Ⅰ』のテキストが家にありました。
新しい教材を買ってもいいのかもしれないけど、
今持っているものでとりあえずやってみようと思い、
テープを中古で入手しました。


カセットデッキがないので、それも一緒にゲット。

例文を読み上げるタイ人の優しい声で眠くなるのが悩み。